日大対関西学院大のアメフトの試合での事件。
昭和20年の太平洋戦争末期での日本対アメリカだったら、選手(兵隊)は、監督やコーチ(上官)の絶対的な指示と歴史あるチーム(大日本帝国)の世論(雰囲気)に押され、呑みこまれ、片道のガソリンを積んだ神風特攻隊に載って、他の選択肢は一切なく、相手(アメリカ軍)に突っ込んで散っていたでしょう。


「これで本当に良いのか」「でもコーチや監督・チームの指示は絶対だ」「自分が犠牲になれば」という複雑な思いを胸にしまい込んで。


こうして、純粋で多感な若者が、戦争時代は命を落とし、若者に死を与えた上官の多くは生き残りました。



現在では、若者には「悪くない・正直に言ってくれた・頑張ってほしい」と世の中からチャンスが与えられる一方で、上官が世の中から厳しく追求され、罰せられる世の中になりました。

監督・コーチは、仕事を辞めさせられる、という「社会的な死」を与えられ、アメフトチームや日大は「とんでもないチーム(大学)だ」というレッテル(社会的損失)を与えられるのです。

それでも、命までは取られません。この方々にも、関係者にも、挽回のチャンスがあります。



戦後70年を超えた私たちの国にも、日本の古い精神教育はまだまだ残っていますが、正直者がバカを見ない世の中になりつつあることに、僕たちの国が明らかに成熟へ向っている実感があります。


思ったこと・感じたことを素直に発信し、思い切って実行しても良い(失敗してもリカバーできる)時代に生きていることに、感謝しましょう。
そして加害者・被害者の一日も早くの回復・復帰を願いましょう。